コラム 『神の不思議』 2025年10月26日

 牧師 高橋勝義

 人には、誰でも人生を変えるような出来事があるものです。その時は気づかなくても、それまでの人生を振り返ったとき、「あの時が…」と思い当たることが、きっとあるでしょう。

 私も中学三年生の時、自分の将来についてあれこれ考えるなかで、これからはコンピューターの時代になると思い、それを学びたいと考えていました。しかし時代は建築ブームで、叔父のひとりが建築科に進んだ方がいいと勧めました。今でも、なぜその勧めに従ったのか、不思議なのですが、私は建築の方に舵を切りました。そして、その建築科のある高校で、私はイエス・キリストに出会ったのです。

 生きる道を求めていた高校三年の春、私は教会に導かれ、イエス様を罪からの救い主と信じ、翌年、洗礼を受けました。あれから、50数年の月日が流れ、この間いろいろなことがありましたが、神の恵みとあわれみによって、福音を宣べ伝える働きに携わらせていただいています。もしも、あの時、自分の考え通りに進んでいたならば、イエス・キリストに出会うことはなかったかもしれません。中学三年のあの時には想像すらできなかったインターネットの普及、そして、それによる技術革新の日々の中で、私は取り残されないようにと、必死で頑張り、疲れ果てていたことでしょう。神のなさることは、本当に不思議です。

 私たちを造られた神は、私たち一人ひとりに御計画を持っておられます。 

 「私は、神がなさることはすべて、永遠に変わらないことを知った。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。人が神の御前で恐れるようになるため、神はそのようにされたのだ。」(伝道者の書3:14)